今日はまた奥日光へ行こうかと思って朝起きたら、外は天気が今一つ。小雨も降ったりして計画を変更。部屋の掃除や冬物衣服の片づけを終え本屋に向かいました。本屋って色々新しい情報が入るので好きです。旅行の本、英会話の本、栃木県郷土の本、魯山人の器の本、スマホの本を購入。今晩はスマホの本を読んで、料金を安く出来る方法を確認してみます。
さて、大平山とちぎあじさいまつりの話題に戻りますが、このシリーズ、今日で終わりです。
↑大平山神社から下山し、駐車場に戻ることにしました。その途中、謙信平なる展望エリアを発見。戦国時代、関東平定を競い対立した越後の上杉謙信と小田原の北条氏康は、当時の大中寺住職、虎渓和尚の斡旋により、永禄十一年(1568年)9月に、大中寺において和議を結んだそうです。大中寺はここ大平山の南西にあります。
その後、上杉謙信は大平山に登り、兵馬の訓練にあたったようですが、そのとき見た大平山から関東平野の広さに感動したという言い伝えから、この場所は「謙信平」と呼ばれるようになったとか。
↑茶店のある通りに綺麗な紫陽花がたくさん咲いていました。
↑紫陽花の色ってバラエティに富んでいますね。
↑紫陽花の花束のようで、この日一番気に入った紫陽花の光景でした!ここ最近の暑さで紫陽花がかなり枯れてしまっていますが、ちょっと残念です。
さて、大平山とちぎあじさいまつりの話題に戻りますが、このシリーズ、今日で終わりです。
↑大平山神社から下山し、駐車場に戻ることにしました。その途中、謙信平なる展望エリアを発見。戦国時代、関東平定を競い対立した越後の上杉謙信と小田原の北条氏康は、当時の大中寺住職、虎渓和尚の斡旋により、永禄十一年(1568年)9月に、大中寺において和議を結んだそうです。大中寺はここ大平山の南西にあります。
その後、上杉謙信は大平山に登り、兵馬の訓練にあたったようですが、そのとき見た大平山から関東平野の広さに感動したという言い伝えから、この場所は「謙信平」と呼ばれるようになったとか。
↑茶店のある通りに綺麗な紫陽花がたくさん咲いていました。
↑紫陽花の色ってバラエティに富んでいますね。
↑紫陽花の花束のようで、この日一番気に入った紫陽花の光景でした!ここ最近の暑さで紫陽花がかなり枯れてしまっていますが、ちょっと残念です。