今日から仕事が始まってしまいました。今日一日で現実社会に引き戻されてしまいましたね。中国から戻ってくると感じてしまうのは、宇都宮の夜の街並みの暗さと、活気のなさです。深センは眠らない街で真夜中に歩いても街中が明るく色々な店が開いていますからね。ちょっと歩けば夜中でも一人でもぷらっと入れるレストランなどがあちこちにあります。こういうところは中国華南地区の好きなところです。
余談はさておき、今日も水戸偕楽園の続きです。このシリーズは今日で終了で、明日からは少しずつ今回の中国旅行シリーズを続けます。乞うご期待!
↑好文亭の2階に上がれるようです。2階に繋がる階段近くにこんな涼風取りの格子窓が・・・。
↑階段を上がったすぐのところからこんな素敵な光景が目に入ってきました。この屋根も非常に特徴的でした。瓦とは思いますが・・・。
↑ここにも渡り廊下が設けられていて、とても眺めが良かったです。
↑こちらは偕楽園梅園方面の眺望です。
↑この場所、楽寿楼と呼ばれていて「楽」は水を、「寿」は山を意味し、山水の美しい楼という意味だそうです。
↑床の間左側には、徳川斉昭公が陣太鼓を作ったときの余材を利用して作った漆塗り丸窓、「富士見窓」があります。名前から察するに、遠くに富士山が見えたのでしょうか・・・?
これにて水戸偕楽園を終了します。水戸偕楽園は好文亭は必ず拝観されて下さい。この眺望と花の絵のある日本間がとても印象的な建物でした!
余談はさておき、今日も水戸偕楽園の続きです。このシリーズは今日で終了で、明日からは少しずつ今回の中国旅行シリーズを続けます。乞うご期待!
↑好文亭の2階に上がれるようです。2階に繋がる階段近くにこんな涼風取りの格子窓が・・・。
↑階段を上がったすぐのところからこんな素敵な光景が目に入ってきました。この屋根も非常に特徴的でした。瓦とは思いますが・・・。
↑ここにも渡り廊下が設けられていて、とても眺めが良かったです。
↑こちらは偕楽園梅園方面の眺望です。
↑この場所、楽寿楼と呼ばれていて「楽」は水を、「寿」は山を意味し、山水の美しい楼という意味だそうです。
↑床の間左側には、徳川斉昭公が陣太鼓を作ったときの余材を利用して作った漆塗り丸窓、「富士見窓」があります。名前から察するに、遠くに富士山が見えたのでしょうか・・・?
これにて水戸偕楽園を終了します。水戸偕楽園は好文亭は必ず拝観されて下さい。この眺望と花の絵のある日本間がとても印象的な建物でした!