一昨日今日と、怒涛の忙しさでした。この忙しさは10月2週目まで続きそうです。この時期は本当に色々な行事が重なり過ぎです・・・。話変わって明後日から台風が接近しそうですので、明日は気晴らしにどこかへ行って来ようと思っています。
さて、昨日最後に出流の石灰鉱山の写真をアップしましたので、その流れで足尾銅山跡地の様子をアップしていきます。
↑宇都宮から高速を利用して1時間半で足尾町に到着しました。前からこの場所に足を運んでみたいと思っていました。その理由は、この場所が明治期、国策で東アジア一の産出量を誇っていた場所であったことと、その後の足尾鉱毒事件で騒がれた場所だったからです。私は製造業のエンジニアとして、鉱工業の栄華と負の面を改めて目に焼き付けておきたいと思っていました。今年は田中正造の没後百年の記念すべき年でもあり。
足尾銅山観光の坑道へはここから入るようです。
↑坑道へはトロッコが導いてくれます。
↑トロッコに乗ったのはいつぶりでしょうか?もしかして、かなり前に台湾烏来の民族村に行ったとき以来かも!
↑途中、坂道専用の駆動車が切り離され、スピードの出る駆動車がトロッコを引っ張っていきました。
↑いよいよ坑道の中へ!今でこそ観光のために明かりがたくさん付いていますが、昔は薄暗かったのでしょうね。
さて、昨日最後に出流の石灰鉱山の写真をアップしましたので、その流れで足尾銅山跡地の様子をアップしていきます。
↑宇都宮から高速を利用して1時間半で足尾町に到着しました。前からこの場所に足を運んでみたいと思っていました。その理由は、この場所が明治期、国策で東アジア一の産出量を誇っていた場所であったことと、その後の足尾鉱毒事件で騒がれた場所だったからです。私は製造業のエンジニアとして、鉱工業の栄華と負の面を改めて目に焼き付けておきたいと思っていました。今年は田中正造の没後百年の記念すべき年でもあり。
足尾銅山観光の坑道へはここから入るようです。
↑坑道へはトロッコが導いてくれます。
↑トロッコに乗ったのはいつぶりでしょうか?もしかして、かなり前に台湾烏来の民族村に行ったとき以来かも!
↑途中、坂道専用の駆動車が切り離され、スピードの出る駆動車がトロッコを引っ張っていきました。
↑いよいよ坑道の中へ!今でこそ観光のために明かりがたくさん付いていますが、昔は薄暗かったのでしょうね。